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いろいろあったよ [ほっこりとした日常etc]

先日、まとめて記事を2つアップした訳ですが、
それまでの約1ヶ月半、このブログは休眠状態でした。
というのも、色々ありましてね~[たらーっ(汗)]

もはや何があったのか忘れてしまってることも多いですが、
とりあえず、忘れられないことを近況報告も兼ねて書いておきます。


4月から(いや、もっと前からか?!)私を悩ませていた、息子の幼稚園ですが、
先日、ついに辞めてしまいました。
そして今息子は、認可外の保育園に行っています。
認可外ですが、とても質の高いところで、元々の仲良しのお友達も通ってるところなので
毎日楽しく通えているみたいです。

なぜ辞めたのか、ですが・・・
語ると長いのですが、一言で言うと【見解の相違】です。
入園前の園の説明と、実態が著しく異なっていたということです。
また、その溝を埋めるには我が家のひずみが大きすぎる、ということを感じ、退園しました。

園に対しては、色々と憤ることが多かったです。
もともと、ブランド校なので、なんというか・・・「伝統」を傘に
とても横柄な部分や、オープンじゃ無さ過ぎる部分が多かったです。

特にPTAが歪んでいると感じました・・・
保護者を追い詰めるような細かいルールが一杯あり、
皆、それを守らなければ、と神経をすり減らしている様な感じでした。
お互いがお互いを監視しているような状態だったのです。

PTAは一般の保護者に対してとても厳格であるにも関わらず、
集めた会費に対してはとてもルーズでした。。。

本当に何もかもが理不尽でした。。。
しかし、一般の保護者は子供を人質に取られているので、
「何も言い返せない」という暗黙のルールがありました。

ただ、所謂「ハイステータスを目指す人」にとっては
この園は凄く意味があるのです。
なので、そういう園の理不尽さに目をつむりながら、あるいは全くそれ自体気にせずに
通うことが出来る保護者も沢山居ますし、事実、私のように1学期そこそこで辞める人の方が
レアケースだったと思います。

勿論、我が家としても通うことが出来ない訳ではなかったですが、
園の健全性にどうしても疑問を感じ、退園することにしました。
親がこんなに歪んでいるのに、子供が楽しく通えるとはどうしても思えなかったのです。
また、保護者が園に呼び出される回数が半端なく、物理的(時間やエネルギー)負担が
大きく、家庭生活自体にひずみが起き始めていました。

この園についてあまりにも認識が浅かったのが今回の退園の原因だったのでしょう。
しかし、入って見るまで分からないことも多いです。。。
人によって感じ方が違うでしょうし。
そのことを今回痛感しました。。。


園を辞めるのはとてもパワーが必要で、辞めるに至るまで本当に心身ともにすり減りました。
心も体もエネルギーが切れてしまい、ピアノを弾くのさえ嫌になることもありました。
もう弾けないじゃないか、と思うくらい。
勿論園を辞めることだけが原因ではなかったけれど、疲れ過ぎて
ここ数カ月は自分を見失いかけていたのは事実です。
だけど、これからは園も変わったことだし、少しゆとりある生活になれそうです。
その中で、心や体を回復させつつ、少しずつ自分のやりたいことを探して行きたいと思います。


この園はたった2ヶ月しか通いませんでしたが、私も息子も友だちが出来ました[あせあせ(飛び散る汗)]

この園では年長、年中のお母さん等が、私たちのような年少のお母さんに偉そうな態度をとる
(さながら部活の上下関係のように)ことが常だったのですが、
私はと言うと、殆ど意に介さず言いたいことを言っていたので(勿論、筋は通して論理的に言ってますが)、
逆に面白いと思った人も居るようです[わーい(嬉しい顔)][あせあせ(飛び散る汗)]

私が、辞めると言った時は「辞めないで!!」とめちゃくちゃ説得されました。
結局辞めることにはなりましたが、
「辞めても是非遊ぼう」
と言われてますし、既にもう何回か遊んでます。
「もう園辞めたし、私と付き合っても、メリットないよー(笑)」
なんて言ってますけど、ありがたいことです。

 ちょっと話は脱線しますが、
 若いころは同性の友だちが異常に出来ず、悩んでいたのですが(理系なのもあり)、
 社会人になったころから、同性の友達がすぐ出来るようになりました。
 最近では人から誘われることが多すぎて、予定をどのように組めば良いか
 頭を悩ますことが多いです。。。私もやりたいこと多いし、結局誘いを断ることも多いですし。。。
 自分でも驚きです。。。なんなんでしょうか、この変化は。。。

 それとは相反して、男友だちが殆ど出来なくなりました。
 勿論、主婦なので出会い自体が少ない訳ですが、
  「男性と話す意味が分からない」
 という、自分でも意味のわからない病気になってしまい、困ってます(笑)
 女の人だったら積極的に話しかけれるのに、相手が男の人だとなんだかしんどくなってしまうんです。
 大学時代なんて男友だちしかいないくらいの勢いだったのに、、、

 人間てこんなに変わるもんなんでしょうか。
 不思議すぎる・・・!!



はい、話脱線し過ぎましたm(_ _)m


そして話は変わって・・・

退園手続きをする日に話を戻します。
実はこの日、衝撃的な出来事がありました・・・
(ちょっとエグイ話なので、読む場合は覚悟が必要です。。。)

園との約束の時間までに少し時間があったので、
私は園の近くのスーパーに寄り時間を潰していました。
「いよいよ園に向かおう」と思い、店を出ると、駐車場に居る一人の老女が目に入りました。
すると、いきなりそのお婆さんが私の目の前で後方に倒れたのです・・・
一瞬の出来事でした。。。

先に意識を失ってから倒れたようで、
全く受け身を取ることなく、背の高さから後頭部から倒れていきました。

後頭部をアスファルトに殴打する音があまりにも凄い音で、正直

 「死んだかもしれない」

と思いました。。。
駆け寄ると、お婆さんは目が空いているけれど意識がなく、
後頭部から出血していました・・・

慌てて救急車を呼びました。

こういう時の応急処置の仕方が分からなかったのですが、
幸い、分かる人が駆け寄って来てくれて、適切に対応して下さいました。

私はお婆さんに
「もうすぐ、救急車が着ますから、大丈夫ですよ!!
 もうすぐですから、頑張って!!」
と声を掛けることしかできませんでした・・・

お婆さんが少し意識を戻した時に
「お婆さん、身内は居るの?
 連絡するべき人は居るの?」
という質問をしたら
 「居ない・・・」
と、か細く答えられました・・・

お婆さんがあざだらけだったことを見ると、
 「何度もこれまでに一人で倒れてるんだろう」
と想像がつき、なんだかとても切なくなりました・・・

この後、救急車が到着し、
本当はこのまま一緒に救急車に乗っていってあげた方が良いのでしょうが、
人と会う大事な約束をしているため、救急隊員の人に「お婆さんが倒れられた状況」を説明し、
代わりに違う人に付き添って頂きました。。。

申し訳ない気持ちを残しつつ、園へ移動し、
退園のための最後の話し合いをし、こちらの意思が変わらないことを伝え、退園手続きをしました。

退園に関しても色々と募る思いはあり、
気持ちが一杯だったのもあり、
全ての手続きが終わった帰り道、
涙が止まりませんでした。。。
何の涙なのか良く分からなかったけれど、
短い時間の間に色々有り過ぎて、疲れたと言うか・・・
お婆さんがどうなったのだろうか、という不安もあったし。。。


このことがあってから、
気道確保や、心肺蘇生などの応急処置が知識ではなくちゃんと出来るようにならないと、と思いました。

また、自分がどんな風に人生を終えるのか分からないけれど、
その時のことを少し考えました。

事故で急死するかもしれないし、
誰にも看取られず、一人で逝くかもしれないけれど、
その時に、自分の最後を知らせる相手が誰も居ないのは凄く悲しいだろうな、て・・・

だからせめて自分の周りの人が一人ぼっちにならないように、私も何か出来ることがあれば
しなきゃいけないな、て思いました。
キャパの小さい人間なんで出来ることも限られてるけれど。。。

大事な友だちが重い病気になってしまったし、余計にそう思うのでした。




重たい話が続きましたが、話はまたまた変わって、
こんどはかるーーい話。
ほんと、軽過ぎて申し訳ないほど軽い話です(笑)

今年の目標は

 「ビキニを着る!」

でしたが、なんと・・・


 無事達成しました!!(笑)


流石に写真アップはあり得ませんです。はい。

因みに、今年は海に3回も行きました。
実は海に行くのは相当久しぶりです。6年以上ぶり?

本来、海は大好きなのに、なかなか行く機会が無くて(旦那が海水嫌い)、
寂しいから壁に南の海の写真を張ったりしてたけど、
それもいつの間にかなくなってしまい、
うっかり自分が海好きなのも忘れる勢いでしたが、
久しぶりに行って、海好きが復活しました!!

いやはや、癒されました・・・
まさか自分が海に癒されるとは予想してなかったけれど、
とても開放的な気持ちになって、ふさぎがちな気持ちが晴れました。
お日様も暑かったけれど、なんか気持ちをハイにしてくれたし。
これからは意識して、行く機会を作りたいですねぇ。


てことで、いろいろありました。
自分としてはちょっとしんどい時期だったけど、少しずつまた元気を取り戻して頑張ります。
ではでは~~

PS.最後に・・・ほんとにどうでも良い話ですが、
   最近、俳優「向井理」さんが私の中で遅ればせながらメガヒットしてます(笑)

   向井理 画像
   ⇒http://www.google.co.jp/search?q=%E5%90%91%E4%BA%95%E7%90%86&hl=ja&prmd=ivnsuo&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=O55OTvz0NNDnmAXJ8tG_Bg&ved=0CEQQsAQ&biw=1366&bih=651#hl=ja&tbm=isch&sa=1&q=%E5%90%91%E4%BA%95%E7%90%86&oq=%E5%90%91%E4%BA%95%E7%90%86&aq=f&aqi=&aql=&gs_sm=e&gs_upl=0l0l0l339981l0l0l0l0l0l0l0l0ll0l0&bav=on.2,or.r_gc.r_pw.&fp=a38b11a7734ce5d0&biw=1366&bih=651

   男性芸能人を見てはしゃぐのが10年以上ぶり(V6岡田准一以来)なので、自分でもビックリしてます~w
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お盆 [ほっこりとした日常etc]

本日2つ目の記事です。
お盆ですね。


昔話をさせて下さい。

昔、私にはY君という2つ年上の幼馴染が居て、小学生くらいまでは本当によく一緒に遊んでました。
Yに初めて会った日のことを今もおぼろげに覚えています。

それは、私が小学1年生くらいの頃。
ある日曜日だったかな。
父が突然、
 「うちのすぐ向かいの筋に、Yの家族が引っ越してきて、オモシロイやつだからYをうちに連れてきたぞー」
と言い出しました。
本当に突然でした。
誰だそれ、と思いながら、ピアノ教室兼客間で初めてYと会いました。

初めて彼に会った時、ビックリしたのが、容姿の美しさでした。
それまで美意識なんてなかった私が
「世の中にはこんなきれいな顔の人が居るんだな」
と初めて感じた瞬間だっと思います。

とは言え、彼はやんちゃ坊主な上、人懐っこい人で
綺麗な顔立ちをしているけれども、決して冷たくない愛嬌のある顔をしていました。
ソファーの上に大人しく座っているのに退屈して、体操ズボンから伸びた日に焼けた裸足で
ソファーを蹴ったり、ごそごそしていたのを覚えています。

父は人懐っこい彼がお気に入りで、
彼も自分を可愛がってくれる父をすぐに好きになったようで
彼らは会ってすぐにお友達になったようでした。

この日から、我が家とYの関係が始まりました。

うちの目と鼻の先に住んでいるYはよくうちに遊びに来ました。
最初は父に招かれて、だったと思いますが、そのうち私や一つ年上の姉とも話すようになり
 川に行ったり、
 田んぼで遊んだり、
 公園に行ったり、
 TVゲームしたり、
本当に色んなことをして過ごしました。

性別も学年も違うので、毎日一緒だった訳ではありませんが、
凄く波長の合う時期は、ずっと一緒に日が暮れるまで遊んでいた感じです。
というか、私は遊びたくても「遊ぼう」なんて自分から言うような子供じゃなかったんだけど、
「今日も遊びに来てやったぜ」て感じのYに
「いらねーよ」と言いながら付いていくという感じだったと思います。(可愛げないなぁ、私w)

時には、運動会で一緒に弁当を何故か食べてたこともありました。
普通は各家庭で食べるんでしょうけど、何故一緒に弁当を食べていたのか未だに謎ですが、
お正月だったり、節分だったり、夏祭りだったり、
本当に色んな祭りやイベントを共に過ごし、兄弟のように色んな思い出が残っています。


Yはやんちゃで男っぽい男の子でした。
川で魚釣ったり、
虫を取ったり、
一日中泥らけになって遊んでるような子で、
お日さまの匂いのするような絵にかいたような男の子だったと思います。

だから、雑・・・というか、女の子からすれば乱暴な時もありました。
でも、根っから優しい人で、意地の悪さなどなく本当にスッキリした人でした。

当時の私は心を閉ざし気味の子供で、大人も子供もも含め
自分の周りに居る全ての人に心を開いて居なかったのですが、Yだけは別でした。
感情表現が苦手だったので、甘えるようなことは決してなかったけれど
彼と居る時はいつも安心して居られました。
それは彼が「意図して意地悪なことをする人ではない」と分かっていたからです。

可愛げがなく、時には憎まれ口を叩くような私でしたが、Yは本当に
「大事な仲間」として常に私の存在を承認してくれていたと思います。

Yと付き合ううちに、Yのことも色々と分かってきました。
彼には御両親とお姉さん、2つ年上のお兄さん、そしてお婆さんが居ました。
御両親とも美形で、特にお母さんは元アナウンサーの山本モナさんに似ている感じの人でした。
当然お姉さんもお兄さんもとても綺麗な顔をしていて、お姉さんは芸能人のような華のある人でした。
でも、お姉さんもお兄さんもとても冷たく、性格がきつかった、と思います。。。
2つ年上の空手をやっているお兄さんからは、よく力づくで言うことをきかされていました。
お兄さんは、私たちが見ていようが何しようが、見せしめのように彼をボコボコにすることがあり、
本当に見ていて辛い時がありました。

末っ子の彼は、可愛がられるというより、「家族で一番下の身分」と言った感じで、
理不尽な目にあってることがよくありました。
そんな彼の逃げ場は、お婆さんだったようですが。。。
彼は多くのストレスを感じてたと思います。

それまで私が知っている人というのは、例えば自分が嫌な目にあったら、
目下のものに八つ当たりしたり、人が見ていないところでやり返したり、
するような人間ばかりでした。
だけど、彼はそんなことは一切しませんでした。
お兄さんにボコボコにされようが、家で理不尽な目にあおうが、
明るく、人懐っこく、優しく、面倒見よく、
とにかく彼はいつもの彼でした。
要領悪くてちょっと損してるな、て心配になるくらい。

なんとなく・・・だけど、彼は
「自分と仲良くしてくれる他人を凄く大事にしてたんじゃないか」と思います。
だから、年の離れた私の父ともすぐに仲良くなったり出来たんじゃないかな。
自分を慕ってくれる者は、お年寄りでも、年下でも、犬でも、とても大事にしていたと思います。

Yは本当に私にもよくしてくれて、
トロ臭い私をバカにすることなく、
虫や魚の取り方や、遊びのやり方など、色んな楽しいことを丁寧に教えてくれたし、
その楽しさを一緒に共有しようとしてくれる人でした。
意地張りで、可愛げのない私になんの躊躇もなく手を差し伸べてくれる人でした。
優しい気使いだったり、言葉だったり、
本当にかけがえのない思いを一杯くれました。
人に話すのが勿体ないくらい(笑)


YとはYが中学生に上がった頃からはほとんど付き合いがなくなったけれど、
私が中学生になった時、
私が1年生、Yが3年生で、町内の中学会のイベント等もあり
再び絡む機会がありました。
とは言え、久しぶりにYと会った時、どんな顔して話せばいいのかな、なんてちょっと
ドギマギしました。
なんせ私は自分からは人に話しかけるの苦手だったし。
でも、彼は昔と変りなく人懐っこく「こっちこいよ~」て顔をしながら
誘ってくれたのが妙にホッとしたのを覚えてます。
「あー、こいつ変わってないなぁ」て。
この一年間だけは、再び昔のように関わることが多かったですね。

Yが中学を卒業してから殆ど付き合いがなくなり、
私もそんな幼馴染が居たことさえ、すっかり忘れるくらいの勢いだったけれど、
時々父がYの近況を教えてくれたりしました。
父とYはソフトボール仲間だったので、相変わらず付き合いは続いていたようです。

私が大学時代に急にTVゲームなんぞにハマった時は、
父が私のためにYにゲームを借りる約束を勝手にしていて(どんな父親だ・・・)、
私が取りに行ったりなんかして少し話したけれど、その時
「それ、もう使わんから返すのいつになっても良いよ」
といつもの調子で言ってくれました。

 #脱線するけど、その中にあった
  「ロマンシング・サガ2」が今でも私の好きなゲームランキング1位です(笑)

その時のゲームをカリパチ状態になったまま、
「まぁいつでも返せるし、いいか」
なんて思いながら、完全にゲームを借りたことさえ忘れていました。

そして私は結婚し、妊娠し、出産。
忙しく過ごしているある日、父からメールが来ました。

 

 「Yが死んだ」


と。
一瞬何のことか分からなかった・・・
意味が分からなかった。

何度も何度もメールを読み返し、それでも信じられなくて、
父に直接確認したら、

 Yは死んだらしい・・・
 けれど、死んだことを町内の人にYの両親が隠しているから、
 父も葬儀に行けなかった。

 ただ、(冠婚葬祭業をしている父が)知り合いから聞いた死亡者情報で、
 年齢も名前も一致しているから、Yは間違いなく死んでいるはずだ

ということだった。
それ(死亡者情報)がYじゃないと信じたかった。
だけど、その数カ月後、Yの死亡がYの両親から確実に知らされた。
父はようやくYの仏壇にお参りが出来てホッとしたそうだ。。。
そして、彼の死因も知ることになる。


もう10年近くまともに会ってなかった幼馴染。
時々、父から近況を聞かされてはいたけれど、直接会うことはなかった。
だから、そんなに悲しくないはず、と思ったけれど、違った。

何週間も涙が止まらなかった。
うまく言えないけれど、Yは私の中で特別な存在だったんだと思う。
他の人にとってはどうか分からないけれど、
大人になってからのYがどんな人間だったか、私にはわからないけれど、
少なくとも私にとっては大きな影響を与えていた一人だったんだ。
私の人格のコアの部分の形成に、Yが絡んでいることにYが死んでから気付く。。。

辛いこととか悲しいことがあったとき、
本質的なところで、Yとの楽しかった日々が自分を支えてきたことに気付かされる。。。
子供の頃の楽しい思い出は殆どYと共有しているから。。。

Yと疎遠になってから父からYの近況を聞くたび、
Yには絶対幸せになって欲しい、と心の奥底で思いながらいつも聞いていた。
そんな自分にも気付かされる。。。

私はYが本当に大好きだったんだ・・・


Yが結婚して子供が出来たら、うちの子とYの子、で遊ばせれたら良いな、なんて
思っていたし、昔話なんかできたら良いと思ってた。


だけど、死んでしまった。
もう、ぜったい・・・二度と・・・会えないんだ・・・


Yには絶対幸せになってほしかったのに・・・
どうして亡くなったのがYなんだ、あんまりだ・・・


そう思うと本当に辛くて涙が止まらなった。
その日から心に大きな穴が空いてしまった。。。



・・・・



それが今からちょうど3年前の話。

毎年夏になると思い出し、心が乱れた。
明日からまた実家に戻るし、再び色んな思いが巡るんだと思う。
家の中にも、家の外にも思い出があり過ぎるし、
Yの家は嫌でも私の家から目につく。
さまざまな事情があり、彼のお墓や仏壇にお参りすることも出来なかったから、
彼の家を見るたびに、余計に色々と考えてしまうんだろうな。。。


でも今、ようやく自分の心の整理がついてきた感じかな・・・
・・・整理がついたというより、時間によって心の痛みが和らいできた、と言った方が
正確なのかもしれないけれど。
先日、8月2日、ものすごく久しぶりにYが夢に出て来たけれど、
その日から痛みが和らぎました。
何でかな・・・変なんですけどね。
上手く言えないけど、「もう大丈夫」と言われたような気がしたから。


区切りにしたかったからブログに書きました。
長くて暗い内容でごめんなさい。

でも、「書き切ることが出来ないかもしれない」と思っていたけれど、
最後まで書けてホッとしています。
また、書いてて大筋で「なんか違う」と思うこともなく、美化することもなく
OUTPUT出来てよかった。
書き切ることで、また一つ整理がついた感じです。


時間かかりすぎたけど、私も前に進まなければ、と思います。

◆動画祭り(アラベスク 1番終わり) [ピアノ@自己紹介・動画]

お久しぶりすぎますね。。。
もう忘れられてるかもしれないこのブログ・・・!

近況報告したいと思いつつ、とりあえず語るよりもまずは動画でしょう、てことで(?)
最近の演奏動画をアップします。

まずはドビュッシーのアラベスクの1番から。
とりあえず、レッスン終わりましたが、全然納得のいく演奏が出来てません・・・
でもとりあえず、終了動画上げます。
こんなクオリティですいません・・・
中間部あたり、思いっきりまちがってるし・・・
■"Debussy Arabesque No.1" ドビュッシー 二つのアラベスク 1番


完成度が低い動画ですいません。
今現在、アラベスクを弾く気分でなくなってしまってるのもあって、
気合入った練習が出来ずにいます。。。


そして、トルコ3回目。
流石に練習不足で、前回よりも酷くなってるような・・・
でも、とりあえず、楽しげには弾いてるのでアップします。。。
■Turkish March-Wolfgang Amadeus Mozart (トルコ行進曲) 3回目



そして、主よ・・・2回目。
これはピアノサークルの練習会で弾いたものです。
右手の4番の指が他の指より明らかに弱くて、音の強さにムラがあり気になります・・・
が、人前演奏にもかかわらず、楽しく弾けた貴重な動画です。。。
もっとダイナミックでスケールの大きな演奏が出来たらなぁ・・・
因みに、前回よりもペース速いです。
■2回目:Jesu Joy of Man's Desiring(J.S.Bach=Hess)主よ、人の望みの喜びよ



前回記事アップしてから、本当に色んな事がありました。
ピアノ辞めようかと思うくらい・・・

だけど、今もピアノ弾いてます。
やっぱり頑張って今よりも上手になりたいです。

ピアノを弾いてると、他人と言葉を交わさなくても一瞬で繋がれる瞬間があって感動しますね。
なぜその曲を選んだのか、どんな思いを込めてるのか、とか、そういうことを
一瞬にして感じたり、感じて貰ったり・・・
ピアノやってて良かったなぁ。。。


アラベスク1番が終わって今は「キラキラ星変奏曲」に再チャレンジしてます。
頑張りますね^^
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