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昨日の追記です

昨日書いた記事、
書いてるうちに寝落ちしたので追記(笑)

フィリピン逃亡(名目は子供の語学留学?みたいな^^;)に至るまでの自分について簡単に説明。

当時、本当に何もかも嫌になっていた。
まず、繊細過ぎる息子の取り扱いにずいぶん苦しんでいた。
いわゆる多動の子供で、
日常的な集団生活がうまく送れないし、
私に対する執着が激しく、従順さが無く、時に暴力的だった。
その息子をうちの両親(特に父)は受け入れられなかったようで、
ある日酒に酔った勢いで
「こんな子は可愛くない。
 将来犯罪を犯す。
 うちに連れてくるな」
と私に当たり散らした。
その時私は、重度の腰痛を抱えていて毎日2時間しか寝れない生活が2,3か月続いており、
満身創痍だったので父の暴言はトドメとなり、心が折れた。
暴言を吐く父を横目にしながら、母がかばうでもなく、あとからフォローするでもなく、
完全にスルーだったことが、より悲しかった。

それまで父に酔った勢いで暴言を吐かれたことは何度もあり、
そのたびに耐えていたし、ぐっとこらえていたけれど、
その時の私はとてもそれが出来る状態でなく、心が折れてしまい鬱病になってしまった。

寝ることが恐怖になり、睡眠時間が0時間になってしまった。
その時産まれたばかりの娘と6歳になる息子を抱えていたけれど、
とても普通の生活が出来る状態でないところまで追い込まれた。
それでも、自分が鬱病を発生したことは当初、親には心配かけるからと思って黙っていた
(今思えば健気すぎる・・・)。
しかし、鬱病の薬を飲んでいるせいで「娘におっぱいがあげられない」という事実に直面した時、
自分の中で、これまで貯めていた親への積年の怒りが爆発した。
「なぜ私ばかりがこんな目に合わなければいけないのか?
 私はあんたらのごみ箱か!」
と。
親には今まで言えなかった怒りを書き連ねたメールを送り、
「ずっと、私はあなたたち家族の中で要らない存在だと感じていました。
 だから、高校卒業したと同時に家を出たのです。就職も実家から離れたところでしました。
 お姉ちゃんと(父と母と)3人で家族なのだから、私のことはもう忘れて下さい。」
という内容のものを送り実家とは絶縁した。
今でもあの時のことを思い出すと悲しくて涙が出る・・・
だけど、余談だけど、両親に長年我慢していた怒りをぶつけて絶縁したことは、正直ホッとしていた。
「もう(父の暴言に)耐えなくて良いんや」て思ってからだと思う。

さて、長年、苦しんでいた実家とは縁をきり、
自分たち家族(夫と子供たち)で力を合わせて生きていく・・・というシナリオだったら
どんなに幸せやっただろう。
残念ながら夫とは心が通じる仲ではなかった。
当時、長男が生まれたころよりは大分マシな関係にはなっていたけれど、
重度の腰痛を発生し、さらに鬱病のおまけまでついてる私に
寄り添ってくれるような人では無かったので、
心の支えにはならなかった。
ただ、救い?なのか、当時の私は本当に「生きてることだけで精一杯」だったので
夫が精神的よりどころになるとかならないとか、そんなこと考える余裕も無かった。
命を保つだけで精一杯。

必死で治療院や病院を渡り歩き、見放され、
下手なところでは悪化させられ治療費だけとられ、
治療方法もみつからず、
24時間襲ってくる慢性的な痛みと、
睡眠時に襲ってくる激痛で不安な毎日。
痛み止めも効かない。
この状態が続いていたら気が狂って、多分遅かれ早かれ自殺してたと思う。

その状態から1カ月たったころ、転機がおとずれる。
治して下さる治療院に出会ったからである。
今思えば、本当に運が良かったと思う。
その治療院でも手探りではあったし数か月要したけれど、
酷い状態から徐々に回復し、なんとか6時間くらいは寝れるまで回復した。
時同じくして、うつ病の薬を飲まなくて生きていられるまで回復した。

徐々に元気を取り戻してきた。
けれどそれと同時にこれまで目についていたけれど体が辛すぎて
気に留めていなかったことで、不満だったことや悲しかったことが一気にこみあげてきた。
実両親のこと、息子のこと、夫のこと。
本当に色々と。

どうして自分の人生はこんなクソみたいなのか。
誰も自分を愛してない。
そればかりか、自分も愛してない。
若いころは「もう嫌だ」とふさぎたくなるぐらい落ち込むことはあっても
「まだ結婚もしてないし、子供もいないし、
 何も経験しないまま死ぬのは嫌」
てどこかしら自分の未来に希望をもってやってこられたけど、
結婚もし、子供も生まれたけれど、結局
「誰からも大切に思われていない」
ということがよくわかったので、なんだかもう人生つんでるし、
辛いばかりの人生に嫌気がさしてきた。

でも、生まれたばかりの娘だけが希望だったかも。
この子は私が腰痛で悲鳴を上げてたころ、
本当によく寝てくれ、いつもニコニコで居てくれた。
泣いて私を困らせることも殆どなかった。
おっぱいをあげられなかったことが本当に申し訳なかったと思うけれど、
娘は本当に当時希望だったと思う。
娘が居たから生きてこれたと言っても過言じゃないな。
(そんな娘は若干4歳だけど今でも私の心に寄り添ってくれる人です)

そんなササクレた気持ちと、
娘のためにも頑張らなければという気持ち両方持ちながら、
なんとか、生きてた当時。
残念ながら少しずつだけど夫によるモラハラがまた再燃してきた。

そう、実は上の子を妊娠した6年ほど前、夫は「優しい夫」から「モラハラ夫」に豹変したという過去がある。
モラハラの詳細は割愛するけれど、それは本当に辛かったので私は離婚したいと本気で思っていた。
ただ当時の私は「無職」「頼りにならない実家」という状況で、夫からはすぐに逃げられない状況だったし、夫からも「自分から逃げられない」と見透かされている様子だった。
だから、必死でそれこそ死に物狂いで育児と家事をこなしながら
勉強して保育士の資格を取得したり、英語の勉強をしたりした。
そうしているうちに、夫は少し焦ってきたみたいで、態度を軟化してきた。
夫が「私や子供たちと離れて暮らす覚悟がない」「家族一緒に居たい」という思いが強いのがよく分かったので、そこからはその夫の弱みを利用して、自分の意思を主張しそれまで得られなかった権利も獲得出来るようになった。
(最初に↑でフィリピン逃亡したと書いたので、疑われるかもしれないけれど
 当初は本当に色んな権利が無かった。)
また夫は「二人目も欲しい」という強い希望があったので、
「あなたが私に優しくしてくれないうちは絶対に要らない」と言い続けた。
そうやって3年以上経つうち、夫は徐々に態度が軟化し、前ほど暴言を吐いたり怒鳴ったりがなくなってきた。(だから上の子と下の子は5年も年が離れている)
こうやって書くと、とても戦略的に動いた嫁のように見えるかもしれないけれど、
最初のうちは悲しくて毎日ただただ泣いていた。
でも泣いてても仕方なくて、誰も助けてくれるわけではなかったし、
私にとっては生きるか死ぬか尊厳が掛かった戦いのようなものだったので、
本当に毎日必死で戦ってきたと思う。

で、モラハラが収まりかかってたのに、娘が産まれて旦那に心に余裕が出来たのか
また夫のモラハラが酷くなってきた。

「あぁ、この人は【離婚される】という緊張感が無いと
 優しくはしてくれない人なんだな」

と、つくづく感じた。分かってはいたんだけど。
自分にとって利害が無いと心を傾けない、
「性根の優しくない人」だという認識をしてる。

とにかく、娘が産まれて私の腰痛が少し落ち着いたころ、
またもやモラハラ夫に戻ってしまった夫。
数年前の悪夢を思い出す。デジャヴだ。。。

そんな感じで、前置きがとにかく長くなったけど、
日本に居るのが嫌になってしまって、
それこそ、死に場所を探すじゃないけど、
どっかに行ってしまいたい、て思いで子供二人を連れてフィリピンへ旅立つことにした私。
そのころ娘はまだ1歳11カ月。今から思うと無茶苦茶(笑)
フィリピンで受け入れて下さった方(恩人)も私の相当な覚悟を感じたと
当時を振り返って語っている^^;

で、フィリピンに旅立ってから帰国すると、夫が優しくなっていた(笑)
おりしも、その当時は高橋ジョージがモラハラで三船美佳に三下り半を突き付けられた、てニュースが
ずーっとTVで流されてた時期でもあったので日本で一人待っている旦那的には
「離婚された時のシミレーション」というか、「こんなに寂しいものなのか」ていうのを
経験してたっぽい。
それから「自分のやってることがモラハラかも?」とようやく気付いたっぽい。
もともと人の意見なんて全然聞かない人だけど、この時ばかりは何か感じるものがあったようだ。

それに味をしめた私。
それから半年に1回、フィリピンに旅立つという暴走を3回も繰り返した。
夫はそれはそれは優しくなってきた。
本当に分かりやすい人である。。。

しかし、今年に入ってからまだ一度もフィリピンに行っていないし、今のところ年内に行く予定もない。
またまた、夫は暴言・恫喝をするモラハラ夫に戻ってきた。  ←今ここ


・・・・・


ごめん、やっぱ無理。この人は愛せんわ。。。
「魂が嫌い」や。

それが現時点での私の正直な思い。
ただ、離婚をすぐしようとかそうは思ってない。
でも、夫がしたいというならすぐにでもしようという心の準備はある。

気が付けば状況的には初めてフィリピン行く3年前と同じような状況に戻ってる。
だけど、私の気持ちは大きく違ってる。

結局「愛」は獲得できんかったし、これからも出来ないんだろうけど、
昔みたいに愛されたいとか、大事にされてないのが悲しいとか思わなくなった。
渇望みたいなのがスッパリなくなった。
寧ろ愛されたいのは夫なんだろうと思う。嫌いだけど(笑)


 愛は無くても、私の中にあるから
 探しに行かなくても良いし、
 他人から愛されないことは悲しいことでも何でもない
 愛は他人から貰えなくても、与えることは出来る

て分かったら、人生のテーマが「愛されること」でなくなった。
私自身が「愛」そのものになってしまったんだから、
愛されようとすること自体が無意味行為になった。

はい、言ってること伝わらないかもしれないけど、そうなんです。そうとしか言いようがない。

これはものすごい気付きだった。

 あんなに渇望してたのに。
 あんなに辛かったのに。
 あんなに苦しかったのに。
 今はこんなに満たされてる。状況は変わってないのに。

「人生のテーマ:愛を得ること」から解放されて今は本当に心から幸せだな、て感じてる。

うまく伝わるように書けてる自信ないけれど、これが私の嘘偽りのない気持ち。

そして、同時期に他にも色んな概念から解放され、気付きがあった。

 直観を信じてきて良かった。
 自分に正直に生きてきて良かった。
 今まで自分に課された課題から目をそらさず生きてきて良かった。
 女として生まれて良かった。

そんな風に魂が叫んでるのが分かる。

実はそのことに気付くきっかけを与えてくれた友達が居る。
彼女からそんな私の変化に対して

 「それは意識が(別な次元に)移動したんだよ」

という粋なお言葉頂きました(笑)
そんな彼女も同じ時期に同じテーマで同じような気付きがあったそうで、二人で喜びあいました。
なんかうれしいな♡

ここに至るまで、彼女にも私にも
人生における過酷なレッスンが沢山あったけれど、
これからはどうなるんだろう。
そろそろ神様は許してくれないかな。
これからは良いことが沢山起こって欲しいよ。

そのためには、これからも直観に大事に生きたいな、て思う。
自分を一杯愛して、
感性を磨いて、
自分に正直に。
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