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ゲルバーのリサイタルに [ピアノ@思うこと]

一度は見てみたい!と思っていた
【レオナルド・ゲルバー】のピアノリサイタルに行ってきました~

曲目は
 ベートーベン「月光」
        「熱情」
 ムソルグスキー「展覧会の絵」
で、
アンコールはなし。

御年、70歳ということで、かなりの御高齢だし、
一緒に行った母に言わせれば、やはり
「衰えたなぁ・・・(演奏が)」
とのこと。
御自分で歩くことが出来ず、付き添いの人に支えられていたし、
肉体の方もかなり衰えてきてるのが、舞台に入って来られた瞬間分かった。

私でさえも、早いパッセージになると「ん?」と首をかしげたくなるような印象を受けた。
どうにも単調で、ごまかしてるような印象を受けたと言うか。
うまく言えないのだけど。。。
「熱情」はちょっと期待外れだったかなぁ(特に2楽章)。

でも、「月光」の1楽章の始まりはスローテンポなのだけど、本当に美しく、悲しく、優しく響いてきて、
一気に惹きこまれた。
 ←ゲルバーの「月光」らしい。

聞く側の心の奥底にしまっている、悲しみみたいなものを引き出してしまうような
そんなイントロで、心に迫るものがあった。
流石だなぁ、と思った。


「展覧会の絵」も良かった。
中でもビドロは期待していたより全然良かった。
もともと「ビドロ」はポーランド語で「牛車」という意味で、
【重い荷を積んだ牛車が近づいてきてまた遠ざかる情景】を表現したとされているけれど、
聞いている時はグランドピアノが棺桶に見えて来た。

曲の最初から最後まで印象的に繰り返される左手の重々しい(痛々しい)和音が、
人間の耳の中で響く(その人自身の)鼓動のような気がしてきて、

   小さい音から始まり(=曲の始まり)
 ⇒どんどん大きくなって、
 ⇒最大(頂点)になり
 ⇒そしてまた少しずつ音が小さくなっていって
 ⇒最後は消える(=曲の終わり)

それが、
【今から殺される人間の心拍】を表わしているような気がしたと言うか。。。

 少しずつ緊張感が高まり、
 最大(頂点)の時点で、緊張と絶望が最大になり、
 その後、命が消えていく・・・

そんなイメージが沸いた。
黒のフルコンピアノが棺桶に見えた。
ハッとして、思わず演奏中に見たグランドピアノの映像が今でも目に焼きついてる。

後で確かめたら、やはりビドロは
【ポーランド人民がロシア兵に捕らえられ、
 今まさに絞首台で処刑されようとしているところを描いた画(歴史的事実)】
をモチーフにして作られたけれど、公にできないので
表向きは「牛車」というタイトルで出されたのだろう、といういわくのある曲だった。

なんとなくそんな話は聞いたことはあったけれどうっかり忘れているくらいだったし、
今まで何度もこの曲を色んな演奏家のCDで聞いてきたことがあったけれど、
イマイチそういうイメージは持ってなかった。
どちらかと言うと酷使される牛車のイメージか、一歩進んでせいぜい
「虐げられた人の感情」くらいのイメージしかなかったと思う。

なので、今回
「死ぬ前の人間の鼓動」
のイメージが頭にパッと流れ込んできた時は、ビックリした。
生演奏だったからなのか?
それとも、(失礼かもしれないが)人生の晩秋にさしかかったゲルバーだから為せる演奏だったのか。

ものすごい迫力を感じた。
とにかく、目をそらせなかった。

音量も凄くて、割れるギリギリ手前くらいだったから、人によっては不快だったかもしれない。
でもそれが更に凄みを増していたと思う。

それにしても、こんなに痛々しく、重く、悲しい感情を曲にするなんて、凄い。。。
こんな感情、「言葉」で表現するにも限界があると思うし、
出来たとしても、一瞬で伝えられるものではないと思う。
また、「音楽」で一瞬で表現できたとしても、その裏にはとてつもないエネルギーが必要だったと思う。
70歳で、体も不調であろうゲルバーがそんな凄いことをやっている姿に感動した。


そして、展覧会の絵のラストは私の大大大大好きな、「キエフの大門」だった訳だけど、
これも思いがけず良かった。。。
好みと違う部分も大いにあったけれど、前曲の「バーバ・ヤーガ」との繋がり方も良かったし、
この曲の持つ壮大さも突き抜けていて良かった。

ゲルバーと相性が良いのかな。
期待を裏切って良かった。

特に、この曲のクライマックスでは、

 「あぁ、やっぱりこの曲は宇宙なんだ」

と改めて思った、というか。

実は、youTubeでキーシンの演奏するキエフを見た時から感じていたことなのだ。。。
 ←キーシンの演奏

真っ暗な客席の中、演奏している姿を見ていると、
客席が宇宙で、ピアノが宇宙に孤独に浮かぶ星に見えてくる(映像2:40以降)。

ピアノ(キーシン)は孤高な存在で、
そこには沢山のお客さんが居て一人ではないのだけれど、
とても孤独に見えた。

だけど、それは全然、寂しいことにも悲しいことにも見えなかった。
一人ぼっちで、魂を込めて演奏する姿は逆に凄くカッコ良かったし、
私にとっては凄く感動的な姿だった。

でも、たまたまそのコンサートの演出(映像)がそうだっただけで、
この曲がもともとそういうイメージを持ったものだ、という確信はいまいちもてなかった。
だからそういう感想は心にしまっていた。

でも、今回ゲルバーの演奏を見ていると、その時の印象がよみがえった。
「この曲は【宇宙】なんだ」と思ったし、
「【命】そのものなんだな」と、強く思った。

特にクライマックスを聞いていると、時間や場所を超越したエネルギーを感じる。
孤独で尊い演奏を見ていると、それ自体がエネルギーにあふれた命に見えてくる。
 「命は孤独で、
  命は尊いもので、
  命がある限り、エネルギーを放ちながら生きていきなさい」
という啓示が聞こえてくるようだった。
でもそれは宗教的なものではなく、
宇宙の、超然とした真理のようなものだと感じた。

そしてこの曲のラストでは、未来に対する明るく力強く、壮大なイメージ・・・具体的には、私は
【未来に向かって、重い扉を力強くゆっくりと押しあけていくイメージ】と
【それを祝福するまぶしくて温かい光のイメージ】
があるのだけれど、ゲルバーの演奏からもそれは感じられた。
また、ラストのタメ(溜め)が、凄く個性的だったけれど、力強くてそれはそれで良かった。
凄く凄く希望に満ちていて、まぶしい光で一杯になった映像が浮かび、本当に感動的だった。


こんな曲を作ったムソルグスキーは天才だと思った。
この曲はやはりホールで聞くのが良いと思うので、
今後ホールで展覧会の絵が演奏される機会があれば積極的に行ってみたいと思った。

また、「ピアノって凄い」と思った。

そして、「この曲はいつか絶対弾きたい」とも、改めて思った。
小さいサロンじゃなくて、大きなホールで弾きたいな~。この曲は絶対ホール向きだと思う。

そんな日はくるのだろうか・・・^^; 
分からないけれど、迷ってる暇があるなら突き進め!と思った。


テクニック的なことを言うと、イマイチだと思う人がいるかもしれないけれど、
巨匠の文字通り、全身全霊の演奏を見ることが出来て、本当に良かったと思う。
また、東日本大震災の後、多くのピアノコンサートがキャンセルされる中で、
不自由な体をおして出演してくれたゲルバーに心から感謝したいと思う。

一杯パワーを貰えたし、
明日からもまたがんばろう、
と思えるリサイタルだった。
行けて良かったなぁ~[ぴかぴか(新しい)]
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yablinsky

私もビドロはDTMで打ち込んだくらい好きです。
お久しぶりです。休眠中なのに出てきました。
私はいけなかったのですが、昨日はうちの家族は
キーシンのコンサートへ行ってきました。
では

by yablinsky (2011-11-02 23:58) 

ぱえ

yablinskyさん

お久しぶりです!コメント頂けて凄く嬉しいデス^^

キーシン、今日本に居ますね~
こっちは田舎なのでキーシン来ませんが(T_T)、
関西に住む私の知り合いも何名かキーシン見に行ったみたいで
羨ましい限りですよ。

またお時間があれば覗きに来て下さいね♪
by ぱえ (2011-11-06 01:19) 

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